つづきです。
晩秋、立冬を迎えたころに4回目の受診。
いよいよ入院と手術の日が決まります。
実は直前までこの日の診察をバックレようかと思っていました。
Y先生は手術する気満々ですが、私は言われるまま諸々の検査を受ける中で考えていました。初診からこの日までの約2か月の間、『手術して生き長らえる意味』を模索していました。
考えれば考えるほど、
病院に行くのが早すぎた、いや、むしろ行かずにいれば良かったのでは?
手遅れと言われて命の期限を決めて欲しかったのでは?
などと思い、同じ症状の人のブログを読み漁っては自分の本心を探りました。
主な関心事は、手術をしない場合でどのくらい余命があるのか、ということでした。
積極的に死にたいとは思わないまでも、手を加えてまで生きたいとも思えなかったのです。
時期も良くなかったのかもしれませんね。秋は物憂げなシーズンですし。
この問いを考察するうちにたどり着いた自分なりの解は
『運命を受け入れて流れに身を任せる』
『生きる意味など考えず、今この瞬間を生きよう』
『この時期にこの病院にきてこの先生に係るのも何かの縁』
とにかく我ひとりの思考に執着するのはやめよう、ということです。
半ば『どうにでもなれ』とうい投げやりな心持ちもあったことは否定できません。
捉われると視野が狭くなって大事なことを忘れてしまいます。
もともと体と心は生きるための道具であること、
それの使い方を間違っていることに気が付きました。
そして大いなる力(宇宙の摂理)にお任せしよう、となりました。
考えるのが面倒になった、という説もあります(笑)
そして入院は2か月後の年明け小正月に、手術はその翌日と決まりました。
この日も手術を前提に心電図やレントゲン検査があり、会計は4000円ほどになりました。
・・・つづく
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